知らない人の前で足を開いて、触られても平気ですか?

Photo by Thomas Rey (写真をクリックすると作品が見られます)


自分の「快」「不快」の感覚を大事にすることは、とても大切と思っています。特に女性には、これを取り戻して欲しいなあと。

私は、妊娠初期の数回の検診を大きい病院で受けました。まあ、嫌だったこと、嫌だったこと(笑)。

どんな感じかって、番号で患者として無機質に呼ばれ、特に目を見て挨拶をされるわけでもなく、事務的な状況のやりとりがあって、じゃあ内診しますということで下着を脱いで足を開いて、ひやっと冷たい検査器具を膣に入れられるわけですね。「おめでとうございます」と普通に言われ、マニュアル通りの指示が出る。

ああ、もう二度とあんな体験イヤです。

陣痛が起きている時に、苦手な人が部屋に入ってくるだけで、子宮口が閉じるって記録もあります。その感覚、思いっきり想像つきますよ。私、検査の日の帰りは、ずっと身体が緊張してました。もし、入れ替わり立ち替わり、知らない人が子宮口のチェックにくるのだとしたら、そりゃあ開きませんよ。。。で、開かないって言って、陣痛促進剤とか言われちゃうことがあるのだろうけど。リラックスできる環境を与えてあげないで、子宮口は開きにくいです、はい。

なので、私はその病院での出産はやめて「快」を選びました。それは、私の感覚に基づいた選択です。「快」を選ぶと決めた後に、今の助産師さんに再会できたり、他にもサポートしてくださるご縁が開けました。これは、最初に自分が「快」をまず選んだからです。

「不快」を、世の中の常識として受け入れて、仕方ないと諦めることも選択。

「快」が良いと感じて、新しい道を選択するのも一つ。

過去に、たくさんの「快」の選択をしてきたことを振り返っています。

★満員電車イヤと思ったから、それに乗らない生き方を選んだ。→生きられてるよね。

★子宮頸がんになりかけの異形細胞があると言われ、切りますと言われたけど、それはイヤと思ったから、自然治癒に任せるケアを選んだ。→治ったよね。

★小さい頃から、チェーン店のフライドチキン食べると吐いてしまったり、お弁当のミートボールが気持ち悪かったりした。体が喜ぶ食べ物を選び続けた。→自分の体の管理、できてるよね。

★性的にイヤと思うことが山ほどあって、私はその世界にイエスと言わない。性は聖なるものだもんと感覚は曲げない。→これを理解できる仲間、パートナーと繋がっていくよね。

→<結果>自分の世界は自分で作れるのねって、そう感じてます。

選択肢はありますよ〜って、そんなこと伝えたいです。

そして、最近意識をしているのが、「不幸の連鎖から抜ける」ということです。

出産をテーマに話をしてみれば、母親が娘にとか、先輩ママがこれから産む人に「出産は痛くて辛いものよ。陣痛は耐えるものよ」と辛い想いを伝えていくことを、私は喜ばしく思えません。痛みは起きる。けれど、その痛みを痛みとして認識して、その痛みを赤ちゃんを迎える変容、拡大と受け取っていく。体を委ねていく。もしかしたら、快感のホルモンが出るかもしれない。

「男性は頼りないものよ」というジャジメントの連鎖を女性同士ですることも、疑問です。出産時に、パートナーの腕に支えてもらったり、触ってもらったり、愛してるって囁きあったりしたら、その後の子育ては変わってくるのではないかな。これは出産だけでなく、普段でもそんな気がします。


無意識レベルで、諦めていること、仕方ないと我慢していること、本当にそうでしょうか?

私は、すごく細かいことでも納得いくまで検討しています。端から見たら、面倒くさい人かもしれない。認めます(笑)。でも、こんな風にしていると、毎日が、創造だし、チャレンジだし、浄化だし、感動。

だから、「快」にイエスって、素直に言ってみよう!

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